母が今年の4月に亡くなりました。69歳でした。
とても早かったような、でもここ数年の闘病生活のことを思うと、
母もこれでやっと自由になれたのでは、という思いもあります。
ここでは、私が母の介護とどうつきあっていったのかを振り返っていこうと思います。
私の経験が少しでもこれから家族を介護する方にとって役立てばと思います。
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母がレビー小体型認知症と診断されて5年。実はその前にも「予防」の意味で、母は認知症の薬を2年以上飲んでいました。それが良かったのか、少しでも進行を遅らせることができたのか?と問われると、母の場合は決してそうではなく、正直「薬漬け」でした。
実家に帰るたびになんだか以前のようにおしゃべりではなくなってるし、テレビが一日中ついていて、テレビの前から動かなくなりました。何もかも「ええわ(やめとくわ)」で済ませるようになり、どんどん欝々としている様子が、「これ大丈夫?」と感じるようになっていきました。
ヘルパーの仕事をしていた従姉が、たまたまうちの実家に立ち寄り、一人でいた母を見た時に「おばちゃん、やばいよ、介護認定受けたほうがいい。あれは介護2か3のレベルだよ」と知らせてくれました。
私の友人にも福祉関係の仕事をしている人がいたので、どういう手順を踏めばいいのかを教えてくれました。
その前にも、だんだん物忘れがひどくなっていく母に、改善すればいいと思って、サプリメントを飲ませてみたりしましたが、明らかな効果が見られず(その代わり母の場合は、髪が増えて白髪が黒くなりました)。サプリメントもあくまで食事があっての補助的なものになるので、食事を作ることもだんだん億劫になって、自分ひとりだけだったら、お菓子をつまんで終わらせてることもあったような母には、正直向いていませんでした。私が薬を仕分けるようになったころは、きちんと飲んでくれていたようですが、やはり同居をしていないと難しかったです。
従姉が「介護認定を!」とアドバイスをくれる半年ほど前、母が血圧の薬を飲んでいて、上が100を切るという、とんでもない話を耳にしました。そこまでの処方をする必要はないだろう、処方はどこの先生がやってるんだという話になり、念のため、主治医の診察の際(というか、いわゆる「薬を取りに行く」というもの)に、ついていきました。
長い間母がお世話になっている病院の先生でしたが、わたしは初めて会った時に、とても高圧的で、しかも保守的で、こちらの主張を聞いてもらえる感じではありませんでした。それでも、なんとか、先生と協力して母の状態をよくしたいという思いで、半年ほど付き添いました。処方の薬も「これを変えると悪化するよ。それでもいい?」と、変更や減薬する様子はありませんでした。この時点で母は認知症の薬も「予防」で出してもらってましたが、その時すでに結構な量を飲んでいました。この時点で、顔も仮面のような状態になっていました。
そうしていたら、さっきの従姉のアドバイスです。そのあと、友人に相談して、まずはセカンドオピニオンを試そうという話になりました。
セカンドオピニオンを受ける前に、まずは認知症(かもしれない)との診断を出していた病院に向かいました(主治医はここの診断書を受けて認知症の薬を処方していました)
その病院は岡山でも脳疾患だったらまずココ、というA病院。
当初診断書を書いてもらった先生ではなく、そこの神経内科のトップのB先生に見ていただきました。すると診断は「レビー小体型認知症」。診断が変わりました。もう私はそこで「誤診」ということが頭に浮かんで、「申し訳ありませんが、セカンドオピニオンを受けたいので、手続きをとりたいです」と申し出をしました。その先生は慣れているのか、割とスムーズに了承してくださり、手続きを取ってくれました。
その後、県外の脳疾患で有名な病院へ。そこでいろいろ検査をした結果は「前頭側頭変性症型認知症」。ますますわからなくなりましたが、セカンドオピニオンの病院で治療をすることができないルールだそうで、もとの病院に一旦戻ることになりました。
日を改めて、再度A病院へ。B先生とお話をしたものの、「薬はこのまま行きましょう」と言われてしまい、ガックリ。それじゃあ何の意味もない(あったのかもしれないけど)
「申し訳ありませんが、Y先生の紹介状を書いていただけますか?」と申し出をして、紹介状を書いていただき、念のため事前に予約をしていたY医院へ向かいました。
そこでY先生と面談、検査。ニコニコと穏やかなY先生と話をして、すごく私自身気分が楽になりました。母もそうだったようで、病院を変えてよかったと思いました(そのあと何かのタイミングで、当初の主治医のところの話をしたら、判断がもうろうとしていても「あの病院はもういい」って断固拒否していました)
検査結果をもとに、薬をガラッと変えることになりました。母に処方されたのはリバスタッチ(パッチ型認知症役)。少量のものを様子を見ながらハサミでカットして使うように言われました。(これがコウノメソッドのやり方の一例です)レビー小体型認知症はパーキンソンと同じような症状(手足のこわばり等)が出てくるので、パーキンソン用の薬も出ました。当然、降圧剤はなくなりました。
通常の通院については、その後はY医院に変わったのですが、2年半後、母が転倒で外傷性くも膜下出血で入院してからは、A病院の脳外科でお世話になりました。
私は、レビー小体型認知症なのに、アルツハイマー型だと診断されていたと「誤診(怒り)!!!!」と思っていたのですが、その後、いろいろな認知症の関連の記事を読み進めていくと、認知症は最初は判断がつきにくく、「まあ、たぶん、アルツハイマーかな?」という診断が出ることも少ないようです。なので、症状が進んできてから、再度検査をしてみると「あれ、レビーだ」となる場合もありうるようです。なので、親しい方の認知症の診断の種別が当初と違っても目くじらを立てないようにしたほうがいいです。
話は戻り、母が薬を減らしてどうなったかというと、「劇的によくなった!」のです。これには、妹たちも驚いていました。たまたま出産で帰省していた真ん中の妹が「お母さんが洗濯物を外に干しに行った!!!」と言っていました。家事も妹に任せっきりになりかけていたのが、自分でも動き始めたのです。前のニコニコの笑顔も戻ってきて、家族は本当にホッとしました。このあと、数か月後、体調を崩して、残念ながら少し進行してしまうのですが、薬でここまで変わるのか?と驚いた瞬間でした。
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